「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。

それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、

永遠のいのちを持つためである。」

ヨハネの福音書 3:16

アバウト

弘前バプテスト教会は弘前市早稲田にあるキリスト教会です。私たちの目標は、人々がイエス・キリストに希望を見出さられるよう支援することです。教会では、聖書から家庭・職場・人間関係・学校の悩みやチャレンジを乗り越える方法を教えています。

教会では学びの後にお茶をしながら交流の時間もあります。そして、交流目的のイベントなども開催しています。 誰もが気軽に参加できますので、ぜひ一度はお越しください!

Hope
Christian Cross and Bible
Faceless crop female entrepreneur checking time  while working with papers
A Woman Studying Her Bible at a Rustic Wood Table

集会案内

日曜礼拝(毎週日曜日)

子供の集会   9:30-10:15

内容 聖書のおはなし、さんび、こうさく、ゲーム、たんじょうかいetc

対象 幼児~小学生


日曜日の礼拝  10:30-11:45

【内 容】 賛美、特別賛美、聖書からのメッセージ


水曜日の祈り会

水曜集会 18:30ー19:15



礼拝は学生から大人まで一緒に参加しています。

聖書・聖歌は教会の備え付けをご利用いただけます。

乳幼児の託児もありますので、ご遠慮なくご利用下さい。

Kids Laughing
Male wearing a black suit and preaching holding onto a pulpit

アクセス

Hirosaki Baptist Church


弘前バプテスト教会

〒036-8087

弘前市早稲田3丁目9-9

TEL: 070-4811-0912

e-mail:hirosakibaptistchurch@gmail.com

車でお越しの方

教会の前には車6台分のスペースがあります。

自転車でお越しの方

自転車でお越しの方は、教会の前に駐輪いただけます。

公共交通機関でお越しの方

教会は南早稲田バス停より徒歩2分の場所にあります。

牧師あいさつ

私は未信者(ノンクリスチャン)の家庭で育ちました。13歳のとき、私は教会に通い始めました。クリスチャンのユースキャンプで、私はイエス様を私の主であり、救い主として信じました。高校を卒業したあと、カリフォルニアの神学校に通いました。妻のリベカとは、神学校で出会いました。そのあいだ、神様は日本のこと、そして日本に教会がいかに少ないかについて私の心に語りかけました。


2013年に卒業した後、私たちはテキサス州に移住し、2つの教会で働きました。2015年から宣教のためのサポートを集め始めました。

私たちは2018年に正式に神戸市に引っ越しました。そして、2023年に教会を始めるために青森県の弘前市に引っ越しました。


教会は初めてというあなたへ

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教会に行ってみたいけど、宗教ってやっぱり怖い感じがする、、

初めて教会に行くあなたに日曜日の簡単な説明をします!

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教会ではどんなことをするんだろう?

行ったことがなければ、どういうことをするのか分からないですよね。


初めての方でも安心して足を運べるように、日曜日に教会で何が起こるかを簡単に説明します。


教会はクリスチャンでなくてもお越しいただけます。

イエス・キリストを自分の救い主として信じた者のことをクリスチャンと言います。教会はまだ神様を信じていない方、他の宗教を信じている方でもどなたでもお越しいただけます。


目次

A. お話し会

B. 歌

C. 祈り

時間

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ホームページに書いてある時間に行けばいいの?

ホームページに書いてある時間は始まる時間なので、少し早めに着くほうがいいです!



基本的に朝のお話し会は10時半ぴったりに始まります。始まる30分前には会場に入れるので、早めにくる人もいます。初めての方は始まる10〜15分前に来ると良いかもしれません。



他の参加者とお話しすることは全然アリなので、来ている人に声かけても大丈夫です。



他の参加者とお話しすることは全然アリなので、来ている人に声かけても大丈夫です。



基本的に1時間ちょっとで終わります。



お話し会が終わったから帰らなければいけないという決まりはありません。多くの場合、来た人どうしで雑談することが多いです。

日曜日のお話し会の流れ

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礼拝の時、何する??

お話し会


日曜日は「お話し会」がメインです。この時間を「礼拝」や「集会」と呼ぶ教会もあります。礼拝は聖書からわかりやすく牧師が話します。


聖書はおよそ1500年かけて書き上げられた本です。およそ2000年前に出来上がったため、当時の文化や背景を説明しながら、言葉の意味をお伝えします。そして、聖書の言葉が私たちにとってどういう意味を持つのかを説明します。話の内容は毎回異なります。




聖書からのお話がある前に、全員で歌います。教会が初めてだと、聞いたことがない曲ばかりかもしれませんので、その場合は聞いていても大丈夫です。


祈り

礼拝中、私たちは祈る時間を持ちます。 私たちは祈るとき、頭を下げて目を閉じます。心配しないでください、牧師が祈ってくれます。


持っていくもの

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何か持っていくものはあるの?聖書ないんだけど、、、

教会には備え付けの聖書がありますので、手ぶらで参加することができます。礼拝中はスクリーンを使い、前方に歌詞や聖書のことばを表示しています。無料の聖書アプリもあります。

その他の質問

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礼拝の後で、質問してもいい、、、

気になったことはなんでも聞いてください。


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人前で聞くのは恥ずかしいんだけど、、、

その場合は教会のLINEアカウントに質問を送っても大丈夫です


口頭で質問しづらい時は、教会の公式ラインアカウントに質問を送っていただければ大丈夫です。

質問者の名前を出さないので安心して質問を聞くことができます。


聖書はどういう本?

歴史上ナンバーワンのベストセラーが聖書だということを知っていましたか?これほど世界で人気な書物でも、日本だと聖書に対する親しみはあまりないかもしれません。


そのため、簡単に聖書の紹介をさせていただきたいと思います。


その他の質問

聖書の中に大きな区分が二つあります。最初の方に出てくるのが旧約で後の方に出てくるのが新約です。新約聖書は旧約聖書を土台として書かれています。



旧約聖書を要約すると、こんな感じになります。神様が世界を創り、最初の人間が神様に逆らって、罪というものが世界に入ってきます。神様は人間に救いの道を開く救い主が来るという約束をします。また、救い主がユダヤ人として生まれてくることを教えています(旧約聖書はこの救い主を「メシア」と呼びます)。旧約聖書の多くは救い主がやってくるこのイスラエルの歴史などが書かれています。



旧約聖書の中にはイスラエル(ユダヤ人)の国の昔の法律などもあるので、ちょっと内容が濃いと感じやすい箇所もあります。



新約聖書は、旧約で約束されていた「メシア」が来たことを教えてくれます。「メシア」はヘブライ語(イスラエルの言葉)ですが、1世紀にはギリシア語が盛んでした。「メシア」をギリシア語に訳したのが「キリスト」という言葉になります。



新約聖書を要約すると、「イエス」という人が現れます。およそ30歳の頃に公に活動を始めました。超自然的に人を癒し、庶民を教え、弟子を作りました。当時の指導者たちに反対されて、イエスは処刑されます。その後、イエスは肉体的に生き返ります。そして、そこから教会というムーブメントが起こり、世界中で多くの人がイエスのことを信じます。



その他にも、イエスに従っていた人たちがあらゆるところにあった教会にかいた手紙などがあります。そして、最後には世界の終わりとイエスが戻ってくることも新約聖書に書いてあります。


もっと細かく分けると実は66冊の本

もう少し細かく分けると旧約には39書と新約に27書の合計66書があります。これらの書物は実は40人の人が

1500年の時を超えて書き上げたとされています。



不思議なのがこれほど時と文化が違う人たちによって書かれた聖書が一つの大きなストーリになっていること

です。なぜそうなのかというと、実はその人たちの背後には神様が聖書を書いていました。


神様が聖書を書いた

聖書の中にこういう言葉が出てきます:


「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。

  2テモテ3:16



「預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。」 

  ~2ペテロ1:21



聖書によると、神様が聖書の言葉を与えたくれました。多数の人物がなんとなくかいた書物ではなく、神様が与えた言葉を書いたのです。そのため、聖書を「神の言葉」と呼ぶこともあります。


聖書の目的

作家は何か目的があって、本を書きます。聖書も一緒です。


と言っても、聖書は66書です。そのため大きくみていきます。


目的その1:神様を私たちに示すため

ひょっとしてこの記事を読んでいるあなたも「神様っているかも?」と思ったことがあるかもしれません。でも神様が本当に存在するのなら、どのように神様のことを知ることが出来るでしょうか?



聖書は私たちに唯一誠の神様のことを教えてくれます。どのような方なのかや、私たちのことをどう考えているのかが書いてあります。また神様が私たちに何を求めているのかも、聖書は教えてくれます。


目的その2:イエス・キリストを信じるため

新約聖書の中にこういう言葉があります:



これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」

  ヨハネ20:31



聖書は正直で助かります。私たちは聖書の神様を知るだけではなく、イエスのことをしっかりと理解するように書かれています。


その3:正しく生きるため

イエスを信じて「救い」をいただいた人がどのように生きれば良いのでしょうか?



【リンク:聖書が教えている「救い」について】



イエスを信じた人は聖書の中でキリスト者と呼ばれています。一般的には「クリスチャン」という言葉が使われていますね。



聖書はイエス・キリストの教えに従う人がどのように夫、妻、子供、職員として生きるべきなのかを教えてくれます。そればかりではありません。上部だけの行動ではなく、どのように正しい志を持つことができるのかを教えてくれます。一人ひとりの本音が問われていきます。


聖書はどこから読めばいいでしょうか?

新約聖書にある「ヨハネの福音書」は初めての方にいいかもしれません。合計21章の短い書なので、一日に3章も読めば、1週間で終わります。



ちょっと大きめの本屋にいくと聖書がありますし、無料の聖書アプリもあります。

ぜひ聖書を読んでみてください。


尾張バプテスト教会では、初めての人でもわかるように、教会で簡単に聖書の説明などをしています。


質問には親切にお答えします。初めての方には特別なプレゼントも用意しています。


一度は立ち寄ってみてください。


聖書の神様はどういう人?

日本では、多くの「神」と呼ばれているものがあります。八百万の神がいるとも言われているこの国で「学問の神様」や「スポーツの神様」から「トイレの神様」まで、ジャンルは幅広いですね。



神様についての一般的な考え方は「困った時の神頼み」で上手に表現されているかもしれません。「神」というのは自分が困った時に少し助けてくれる存在。しかし、この神様についての考えは正解なのでしょうか?



聖書は私たちのために、別の神の姿を描いています。


私たちを創られた神

聖書はこの言葉で始まります。



「はじめに神が天と地を創造された。」

  創世記1:1(聖書)



宇宙の星から、私たちが住んでいる惑星まで全て聖書の神様が創られたいう意味です。聖書の「創世記」という部分に、神様が世界や植物、そして動物や人間を創られた様子が書いてあります。


学校で一般的に教わるのが進化論です。神様が世界を造る創ったという考えは、非科学的だと考える方も少なくはないかもしれません。しかし、覚えておくべきキーワードが一つあります。進化論は「論」なんです。

そのため進化に意見(進化論)に対して、聖書は別の意見を述べています。



ロボットやAIが注目を浴びる時代です。頭の良い開発者や教授の成果で毎年どんどん発達していきます。

設計や製造をする人が背後にいるからこのようなロボットやAIがあるのではないでしょうか?


では、人間はどうでしょうか?歩くことを学び、言葉を覚え、友達を作ります。また、転んで傷ついても治るような体を持つロボットは存在しますか?ある意味、ロボットやAIがまだ追いついていないほど優れているところもたくさんあります。


科学者が自然界からヒントたくさんのヒントを得ていることは誰でも知っていることです。そして人間と比べられるロボットは今まで存在したことすらありません。

聖書はそんなロボットやA Iよりも優れた私たち人間を創った神様のことを教えてくれるのです。


私たちを知っている神

神様は人間を創ってから放置しませんでした。逆に、神様は自分が創った世界のことをよく知っています。実は聖書によると神様は私たち一人ひとりのことを知っていると聖書は教えています:



「わたし、主が心を探り、心の奥を試し、

それぞれその生き方により、

行いの実にしたがって報いる。」

  エレミヤ書17:10(聖書)



誰にも見えないと思っている、考えや思いは神様の前では丸見え。思いも、願いも、悔しさも、切なさも全て

知っています。


「誰も自分のことをわかってくれない」と思ったことありますか?


「自分がいても、いなくても、関係ないかも」と思ったことありますか?


神様そんな悩むあなたの心さえ知っています。


私たちを裁(さば)かれる神

私たちを創り、そして私たちを知っている神様はどんな方でしょうか?



聖書によると

「主は正義と公正を愛される。

主の恵みで地は満ちている。」

  詩篇33:5(聖書)



神様が求める正しさは、神様が聖書の中に残している法律にあります。聖書はこの法律を律法(りっぽう)と呼びます。神様の法律を破ることを聖書は「罪」と呼びます。



【リンク:全ての人が罪人って本当?】



神様は多めに罪を見ることはありません。全ての罪をさばきます。


そのさばきについ聖書はこのように教えています:



12「また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。」

  黙示録20:12ー14(聖書)


私たちを愛される神

私たちを創った神。私たちを知っている神。そして私たちをさばく神。この神様について聖書はこういうことも教えています:



「愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。」

  1ヨハネ4:8(聖書)



神様は正しさが好きだけではなく、愛であると聖書は教えています。そして具体的にどのように私たちを愛してくれているかも聖書に書いてあります:



「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

  ヨハネの福音書3:16(聖書)



神様は私たちと私たちの状況を知っていたからこそ、愛をもっとさばきと苦しみを逃れる道を備えてくれました。


その道はただ一つ。イエスキリストが身代わりとなってくれたことです。


私たちが受けるべき裁きと刑罰を身代わりに受けてくださったことによって、私たちは罪が赦されます。イエスの正しさをもらって神様と正しい関係を持つことができます。




私たちは教会で聖書からこの神様についてお伝えしています。あなたを完璧に知り尽くしながらも、愛してくれて手を差し伸ばしている神様です。聖書の神様についてもっと詳しく知りたい方は、ぜひ一度教会に来てみてください。


イエス・キリストってどんな人?

突然ですが、イエス・キリストはどういう人だったか知っていますか?


もしかしたら学校や塾で聖書のことを歴史の視点から少し学んだことがあるかもしれません。でも実際にどういう人で、何を教えたかを聖書で調べてことはありますか?


今日は聖書の中に出てくるイエス・キリストの奇跡、予言、そして復活についてみていきます。


イエスの奇跡

多くの宗教には、超自然的な奇跡の言い伝えがあります。でも目撃者がゼロだったりたったの一人だったりします。目撃者がいる場合、宗教の創始者のケースが多いです。


「その場に他に誰もいなかったけど、すごいことが起こりました」みたいな感じで話が進んでいきます。疑わしい話がほとんどです。


しかし、聖書の中に出てくるイエスの奇跡は違います。人前で行われた奇跡が色々ありました。いくつかの例を見てみましょう。


中風(歩けない人)の人を癒した奇跡

「10 しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。11「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」12 すると彼は立ち上がり、すぐに寝床を担ぎ、皆の前を出て行った。それで皆は驚き、「こんなことは、いまだかつて見たことがない」と言って神をあがめた。」

  マルコ2:10−12(聖書)

目の見えない人を癒した奇跡

29 さて、一行がエリコを出て行くと、大勢の群衆がイエスについて行った。30 すると見よ。道端に座っていた目の見えない二人の人が、イエスが通られると聞いて、「主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫んだ。31 群衆は彼らを黙らせようとたしなめたが、彼らはますます、「主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫んだ。32 イエスは立ち止まり、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのですか。」33 彼らは言った。「主よ、目を開けていただきたいのです。」34イエスは深くあわれんで、彼らの目に触れられた。すると、すぐに彼らは見えるようになり、イエスについて行った。」

  マタイ20:29−34(聖書)



どこか山奥で密かに行われた奇跡ではありませんよね?


イエス様の評判はあまりの良かったため、イエス様に敵対していた当時の宗教的リーダーたちはイエス様に手を出せなかったエピソードも聖書の中に出てきます。


最終的にイエス様を夜中に捉えて十字架にかけますが、イエス様の教えや奇跡は公の場で行われていたのは事実です。


イエスの予言

ありとあらゆる方法や場所で奇跡を行ったイエスでした。そんなイエスですが、「これからこういうことが起こりますよ」と予言をしたら、気になりませんか?


実は、そういうエピソードが聖書に出てきます。


まずはこちらを読んでみてください:



31 さて、イエスは十二人をそばに呼んで、彼らに話された。「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子について、預言者たちを通して書き記されているすべてのことが実現するのです。32 人の子は異邦人に引き渡され、彼らに嘲られ、辱められ、唾をかけられます。33 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」

  ルカの福音書18:31−33(聖書)



イエスは自分が殺される方法だけではなく、生き返る(よみがえる)予言もしました。


当時イエスの敵だった人たちもこのことを理解していました。イエスが十字架で死なれたあと、弟子たちが遺体を盗んで「生き返った」と言わないように、当時の指導者たちは兵隊に墓を番をさせました。



62 明くる日、すなわち、備え日の翌日、祭司長たちとパリサイ人たちはピラトのところに集まって、63 こう言った。「閣下。人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと弟子たちが来て、彼を盗み出し、『死人の中からよみがえった』と民に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の惑わしよりもひどいものになります。」65 ピラトは彼らに言った。「番兵を出してやろう。行って、できるだけしっかりと番をするがよい。」66 そこで彼らは行って番兵たちとともに石に封印をし、墓の番をした。

  マタイ27:62―66



イエスは人前で奇跡を行いました。そして、予言もしたイエス・キリストです。その後、どうなったのでしょうか?


イエスの復活

イエスは十字架で殺されました。ローマ兵がイエスの死亡を確認しました。イエスの遺体は岩に掘られた墓に収められました。そして、大きな石でその口は塞がれていました。それに加え外に兵隊が番をしていました。これらは聖書の中にあるマタイの福音書の27章62−66節とルカの福音書の23章50−56節に書いてあります。


でもイエスが死んだ3日後の朝、イエスの遺体に油を塗りたいと思った女性たちが墓に現れました。(当時は火葬する文化ではありませんでした。エジプトのミーラのような感じを想像すればいいかもしれません。)


しかし、彼女たちは、違う光景を目の当たりにしました。



1 週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。2 見ると、石が墓からわきに転がされていた。3 そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。

  ルカの福音書24:1−3



墓を塞いでいあ石が動かされていて、中にイエスの遺体がありませんでした。


彼女たちはイエスの弟子たちにこの出来事を伝えたところ、信じてもらえませんでした。しかし、イエスは彼らに現れて、自分が生き返ったことを表しました。


「幽霊だったのでは?」と思う人もいるかもしれません。イエスが弟子たちに現れた時も、弟子たちはそう思いました。聖書の中にはこう書いてあります:



38 そこで、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」

  ルカの福音書24:38−39(聖書)



その後、一緒に食事もしました:



41(イエスは)「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、43 イエスはそれを取って、彼らの前で召し上がった。

  ルカの福音書24:41―43(聖書)



そしてその後も一度に500人以上の人に現れたという記録も残っています(1コリント15:6)。


人前で奇跡をおこなったイエスは、自分の死と復活を予言しました。そして、それを成し遂げました。


イエス・キリストは只者じゃないことが分かります。そんなイエスの発言をいくつかみめみましょう。


自分が神だという発言

イエスは自分が神様だと主張しました。日本の八百万の神の一人ではなく、聖書が教えている唯一の神です。


【聖書が教えている神について】


聖書の中ではこう書かれています:



17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」18 そのためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っていただけでなく、神をご自分の父と呼び、ご自分を神と等しくされたからである。

  ヨハネの福音書5:17−18(聖書)



とうじの社会では軽々しくいう言葉ではありませんでした。なぜなら「冒涜罪」(ぼうとくざい)があったからです。冒涜(ぼうとく)とは、神様を侮辱(ぶじょく)する行為のことです。冒涜罪(ぼうとくざい)で命を失うことが可能でした(現代ですと、イスラム教が盛んな国には似たような法律があります)。


当時の人たちはイエスが自分は神だと言ったことに気付きました。そして、冒涜したと思ったのです。しかし、先程みたイエスの奇跡や復活はイエスが神様だという一つの証明になります。


人の問題は心にあるという発言

神であるイエス・キリストは、人の問題がどこからくるのかを教えてくれました:


口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。



19 悪い考え、殺人、姦淫、淫らな行い、盗み、偽証、ののしりは、心から出て来るからです。 20 これらのものが人を汚します。

  マタイ15:18―20 (聖書)



身の回りにある争い、戦争、ねたみ、盗みなどは心の底にある問題が表面に現れているだけです。


心の中で問題があるから、人殺しが出てきます。他の人と寝る前に、心の中で問題があるから最終的に不倫関係が浮上します。心の問題、それが、人間を汚すのです。


この心の問題が結果的に招く多くの悪行を聖書は「罪」と呼びます。


【リンク:聖書が教えている罪について】


人を救うために来たという発言

イエスは地上で多く肩書きがありました。一般的に知られているのは「キリスト」かもしれません。「キリスト」は聖書が教えている人類の救世主を指す言葉です。


イエスご自身はこう言われました:



人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。

  ルカの福音書19:10(聖書)



イエスは私たちを救うために来たのです。


そして、聖書ははっきりとイエス以外には救われる方法はないと教えています。



この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。

  使徒の働き4:12(聖書)



このため、私たちの本当の問題を解決できる方は一人しかいないということになります。


【リンク:聖書が教えている救いについて】


私たちの教会は「キリスト教会」です。イエス・キリストの素晴らしさを祝うとともに、もっと多くの人にイエスを紹介して、その素晴らしさを知ってほしいです。一度、教会に来て聖書の教えを聞いてください。


罪ってなんですか?

「あなたは罪人です」と言われたら、心の中でどんな返事が湧いてきますか?


「刑務所に入れられたことはない」という人や、「自分は真面目に生きている方だ」と思う人がいるでしょう。世の中には凶悪犯から真面目な人まで人それぞれです。


個人的な感想もたくさんあるかもしれません。


この記事では、聖書が教えている「罪」をみていきます。そして、聖書の言葉によると、誰が罪人で、罪人であることが何を意味するのかをみていきます。


【リンク:そもそも聖書ってどういう本?】


イエスの奇跡

「罪」というのは法律を破り、起訴され、有罪とみなされ、刑務所に入れられたことを指すのが一般的な考えかもしれません。


しかし、人が作る法律は時代とともに変わります。その時代において、違法なことが大きく変わります。奴隷が認められている国もあれば、漫画の海賊版サイトの運営で捕まるところもあります。10年前は大丈夫だったことも、法律の改正で今は犯罪なることもあります。人が作る法律にはその時代の差別なども見えてきます。


実は聖書の中に神様の法律が書いてあります(聖書の中では「律法」と呼ばれています)。そして、この法律を通して神様のスタンダードがわかってきます。とても厳しいものです。


殺してはならない。

  出エジプト記20:13(聖書)



姦淫してはならない。

(不倫などのことです)

  出エジプト記20:14



しかし、私たちがとてもひどいと考えることだけが神様が罪に定めるものではありません。



9 あなたがたは知らないのですか。正しくない者は神の国を相続できません。思い違いをしてはいけません。淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、 10 盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者はみな、神の国を相続することができません

  1コリント6:9―10(聖書)



聖書の言葉に出てくる神様のスタンダードはとても厳しいです。私たち基本的に身の回りの人と比べ合って、自分の良さや悪さを評価します。ですが、神様のスタンダードと自分の申請を照らし合わせると、いかに不完全なのかが見えてきます。


「真面目に生きてきた方だと思う」、「僕はそんなに悪くはない」、「俺は人を殺したことはない」。


いろいろな方法で自分を他の人と比べてしまいます。しかし、これは本当の正しさを私たちに示してくれるものではなく、勝手に想像している自分の正しさにすぎません。


本当の完璧さを知りたければ、自分の行いや考え方を聖書の中に出てくる神様の法律と照らし合わせる必要があります。神の法律を破っていれば、罪が問われます。


聖書が求める完璧さにあなたは到達できますか?


全ての人が罪人

人は完璧なさばきを下すことはできません。D N A鑑定の結果、20年の刑を過ごした後に無実が判明して釈放されるような話があります。


しかし、神様は正しくさばく方です。


そして、神様の法律を目方にして私たちの行いが図られると、私たちがどれほど不完全なものかが見えてきます。


【リンク:神様ってどんな人?】



私たちに自分の罪が見えるように、神様はこの法律を与えてくれました。

律法を通して生じるのは罪の意識です。

  ローマ人への手紙3:20(聖書)



国の法律を破って捕まると、さばかれて罰を受けます。同じように、神様の法律を破るとさばかれて刑罰を受けます。神様は正しくさばく方ですので、全ての罪人を正しくさばき、刑罰を下します。



すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず

  ローマ人への手紙3:23(聖書)



神様は聖書の中で「すべての人」が罪を犯したと私たちに教えています。罪はどんな結果を招くのでしょうか?


結果その1:関係が崩れる

悪いことをされたら、相手との関係は崩れますよね。


例えば、親友が2週間でお金が10倍になる投資を見つけたと言われたとしましょう。試しに1万円を渡したら、数週間後にその友達がと連絡が取れなくなりました。ちょっと調べてみたら、実は詐欺だったことが判明。その人の仕業によって関係が崩れます。


罪があると、身の回りの人との関係が崩れます。人をだませば、目を合わせることができなくなります。不倫をしたら、パートナーのしんらいを裏切って関係が崩れます。これらは罪の結果です。


実は、聖書が教えている罪は神様に対して行われていることです。そのため、罪があると神様と正しい関係を持つことができません。そのため、聖書にこのような言葉が出てきます:



18 これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。21 神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。

  ~2コリント5:18、21(聖書)



神様は聖書の中で、私たちに和解を呼びかけています。なぜなら、罪で関係が崩れているからです。


(「義」という言葉が出てきましが、これは正義の「義」です。簡単にいうと正しくて、罪がない状態のことです。聖書は、私たちがイエス・キリストの義(正しさ)をもらうことができると教えています。)


しかし、罪の結果はそこで止まりません。

結果その2:さばき

国の法律を破ると罰があるように、神様の完璧な法律を破ると罰があります。


聖書は罪のさばきがこのようになると教えています:



12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。13 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。 15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

  ~黙示録 20:12−15(聖書)



私たちは死んで終わるのではありません。


罪のある人は、神様の前でさばかれると聖書は教えています。そして、永遠の苦しみの場所(火の池)に投げ込まれると聖書は教えています。


神様は、あなたが今までしてきたことや考えたことを全て知っています。そして、あなたが罪を犯したことを知っています。


聖書によると、あなたも神様の前にたち、さばきをうけ、有罪判決が言い渡されるということになります。そして、炎の池に投げ込まれて、永遠の苦しみを受けます。


しかし、神様は私たちがさばきと苦しみを逃れられる方法を作ってくれました。聖書はこのことを良い知らせを「福音」と呼びます。それは、お金で買えない、徳を積んで得られないで助かる方法です。


【リンク:聖書が教えている「救い」(福音)について】


尾張バプテスト教会ではいろいろなことをしていますが、罪のゆるしを祝う場所でもあります。そして一人でも多くの人がイエス・キリストにある罪のゆるしについて聞いて、経験できるように、行動しています。


神様は素晴らしい罪の赦しを備えてくれました。ぜひ一度はその話を聞きにきてください。

「救い」ってなに?

聖書は全ての人が神様に対して罪を犯したと教えています。そして、罪は残酷な結果を招きます。


【リンク:聖書が教えている罪について】


しかし、聖書の神様は罪人のために救いというものを備えてくれました。

救いの方法

世の中にいろんな宗教があります。「これが救いになった」と言って、話を持ちかける宗教が多数あるように思えます。駅前で怪しい勧誘をしているところから、「ちょっと聖書の話を聞きませんか」と言って尋ねてくるところまで、いろいろありますね。


実は、聖書の中に神様が準備してくれている救いの方法が書かれています。そして、救われる方法は一つしかないと聖書は教えています。



12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。

使徒の働き4:12(聖書)



「この方」とはイエス・キリストのことです。聖書は、イエスの他には救いがないと教えています。


【リンク:聖書ってどんな本?】


聖書によると、自分で罪を償うことはできません。なぜなら、何かをして償おうとしても、私たちの罪に刑罰が下されなければならないからです。私たちがどんなに償おうとしても、誰かが過去に起こした罪の罰を受けなければなりません。


神様は自分のひとり子イエス・キリストをこの世に送りました。イエスは私たちの身代わりとなって十字架で死んだのです。そして、3日目に生き返りました。自分が本当に神様であることと、自分が言ったことが全て本当だということを証明してくれました。


【リンク:イエス・キリストについて】


聖書の中には、救いについてこう書かれています:



2 この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。

  ~1ヨハネ2:2



神様は罪に対して怒っています。そして、刑罰を下します。しかし、イエス・キリストは代わりにその罰を負ってくださいました。


ここに大きなパラドックスがあります。正しくさばく神様は片目をつぶって罪を認めるわけにはいきません。神様は正義を愛される方で、罪が大嫌いです。しかし、私たちを愛してくれているのです。だから救いの道を作ってくれました。


【リンク:聖書が教えている神様ってどんな人?】 



神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

  ~ヨハネの福音書3:16(聖書)

救いの結果

救いを受け取る方法かをみる前に、聖書が教えている救いの結果を見てみましょう。

罪が全て赦される

細かいことですが、字に注目してください


「許す」ではなく、「赦す」です。


神様は罪を犯す許可を出すのではありません。イエスのゆえに罪を帳消しにして、赦してくれます。これはイエスが犠牲となって死んでくれたからです。

さばきを恐れる必要がなくなる

まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。

  ~ヨハネの福音書5:24(聖書)



罪についての記事でも書きましたが、罪には刑罰があります。地獄でさばかれると聖書は教えています。


【リンク:聖書が教えている罪について】


しかし、イエス・キリストの言葉によると、救われる人はさばきにあうことがありません。キリストが罰を代わりに受けたので、自分のために罰はないということです。

神様と正しい関係がもてる

【リンク:聖書が教える神様について】


救いを通して罪がゆるされた人は、神様と正しい関係を持つことができます。この人生で神様と親しい関係を持ちながら生きていけると聖書は教えています:



しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

  ~ヨハネの福音書1:12(聖書)



救われることによって、私たちを創った神様と親子関係になるんです。祈りを通して、世界を創られた神様と話すこともできます。


また、こういう約束も聖書にあります:



主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたから

  ~ヘブルへの手紙13:5(聖書)



なので、もう一人ではないということになります。いつでも神様がともにいてくれるんです!


では、どうやって救いを受け取るのでしょうか?

救いをもらう方法

特典と言ったら変かもしれませんが、救いというものは本当に素晴らしいものです。では、どのようにして聖書が教えている「救い」を手に入れられるのでしょうか?

自分の罪を認める

「救い」をもらう前に、救いが必要だということを認めなければなりません。自分が罪人であること認める必要があります。


リンク:聖書が教えている罪について】

自力で救われないことを認める

救いが必要だと承知した上で、自分で自分のことが救えないということを認める必要があります。神様は、私たちが頑張ったから救いを与えてくれるのではありません。イエス・キリストがしてくださったことのゆえに与えてくれます。


イエスがなさったことプラス自分の力ではありません。

イエスが自分の罪の身代わりとなって死んで生き返ったことを信じる

9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

  ~ローマ人への手紙10:9−10(聖書)



全てはイエス・キリストのおかげです。自分の罪を認めた後、イエス・キリストが自分の罪のために死んで、生き返ったことを信じれば救われると聖書は教えているのです。


おちろん、イエスの復活を信じるためには、イエスが誰なのかをしっかり把握しなければいけませんが、イエスのことはこちらの記事に詳しく書いてあります。

それだけ

本当にそれだけなのです。バプテスマ(洗礼)・お金の寄付・教会の出席などは、救いと全く関係ありません!自分で何か行動を起こして、救われるという教えがイエス・キリストと聖書の教えの正反対です。



8 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

  ~エペソ人への手紙2:8−9(聖書)



簡単なことなのです!でも、そこにたどり着くためには、自分のプライドを捨てる必要があります。


尾張バプテスト教会では、聖書が教えているこの「救い」についての質問に応える時間や、聖書を学ぶ時間を持っています。聖書の教えに興味がある方や、質問がある方は、ぜひ一度は来てください!